ある特定の場所に、無冠詞のときがあります。
例えば、学校school、
at school
go to school
in school
他にも
at home
at church
go to church
など。
もちろんat the schoolのように冠詞がつく場合もあり、無冠詞のときとは、どう意味が違うのでしょうか。
今回は、「冠詞あり+場所」と「冠詞なし+場所」の違い、at schoolとat the schoolの違いについて、説明します。
冠詞なし+場所at schoolは場所以上の深い意味がある
「冠詞なし+場所」の形をとっている場合、それば単に場所のことを指しているのではありません。
実はもっと深い意味があります(そんなに深くはないですが)。
”at school”と”at the school”
Kale is at school.
ケールは学校にいます。
ケールは学校にいるんです。そしてここがポイントなのですが、単にケールがいる位置が学校ということだけではなくて、at schoolから分かることは、ケールは生徒として、あるいは先生などの学校関係者として、学校にいるんです。上記の文章からは、ケールは生徒なのか先生なのかは分かりませんが、とにかく学校関係者で、現在学校にいて、現在授業中だとか勤務中とか、そういう時間帯であろうことが推測されます。
たとえ真夜中の2時だったとしても、ケールが何か学校の課題で、その時間帯に学校にいる必要があるとき、at schoolです。
では単に、現在地としての場所を言う場合はどうでしょう。
Liz is at the school.
リズは学校にいます。
リズは学校にいるんですが、必ずしも学校関係者というわけではありません。単にリズがいる場所が、学校なだけです。それ以上の深い意味はありません。
1) My daughter drew this picture at school.
2) My daughter drew this picture at the school.
どちらの文も「私の娘は、学校でこの絵を描いた」と訳されますが、解釈が違います。
1) は、at schoolなので、娘は生徒として学校にいて、そこで絵を描いたのです。つまり学校の課題とか、授業中に、その絵を描いたのです。
一方2)では、at the schoolを用いています。単なる場所としての学校ということで、娘が描いたその絵は、課題というより、単なる趣味で描いたと推測できます。どこで絵を描こうかなと娘が選んだ場所が、学校だったということです。
”go to school”と”go to the school”
Get up! It's time to go to school.
起きなさい!学校へ行く時間よ。
朝、いつまでも寝ていたいのに、母親に叩き起こされた経験はありますか?この例文で、冠詞なしのgo to schoolは、「学校へ行く」ですが、単なる場所としての学校ということではなく、学校へ行って授業に出席し、勉強し、先生の話しを聴いて、友達とも仲良くし…、という意味合いが含まれます。
母親が子供を叩き起こして「学校へ行け」と言うとき、決して、正門の前で一日中座っていてもいいから、学校という場所にとにかく行け、という意味ではありません。
もしこれが “Go to the school”であれば、そのような意味になります。学校で勉強なんてしなくてもいいから、とにかく学校に行ってくれ。そんな母親の悲痛な思いが、感じ取れなくもありません。
Mom, can you go to the school?
お母さん、学校に行ってくれる?
私が子供の頃、時々学校で本や文房具の販売がありました。欲しいものをあらかじめチェックしておいて、母親に後で買ってきてもらうのです。この場合、母にとって学校とは、勉強したり、先生の話しを聴いたりするような所ではありません。たまたま業者が学校に来て、そこで本や文房具が販売されているというだけで、そこは単なる場所です。ですから、go to schoolではなく、go to the schoolなのです。
もしこれが、
Mom, you should go back to school.
だったら、きっとこの人の母親は、子供の頃、ろくに学校に行かなかったのかな。家が貧しくて学校に行けなかったのか、道を踏み外してしまったのか。なんて詮索したりして。子供が、母親に、学校に行って、ちゃんと勉強して、学校を卒業したらどうか、と解釈できます。
”in school”と”in the school”
1) Satomi is in school. She's already 7 years old. 里美は小学生です。もう7歳になります。
2) Ami is in the school. 亜美は学校の建物の中にいます。
前置詞inを使っているので、一見すると、どちらの文章でも学校にいるんだなと解釈できそうですが、実は大きな違いがあります。
1) は、別に里美さんがどこにいるかが問題ではありません。in schoolで、学校に在籍している者、つまり生徒であることを意味しています。
前置詞inを使っているので、何かの中にいるような感じ。
そして「冠詞なし+ school」なので、単に場所としての学校を表しているのではありません。
学校という物事を学ぶシステムの中に、入っている。ですから、in schoolでは、先生とか学校関係者ではなく、生徒を意味します。
1)の文章からは、里美さんはもう7歳で小学校に通う年齢。つい先日生まれたような気がしたのに、もう学童年齢になったなんて、子供ってすぐ大きくなるものですね。…などという、里美さんのお母さんは、きっとそんな思いなんでしょう。
2) は、冠詞theがついていますので、単なる場所としての学校です。亜美さんの現在地を示すat schoolと違って、どういうわけか、亜美さんが学校の建物や敷地の中にいることが強調されています。もしかしたら学校のすぐ近くで事件が起こった。亜美さんは安全であろう、学校の中にいることにしたのかもしれません。
「冠詞なし+ school」で、学びやとでも言いましょうか、そういう特別な場所であり、単に位置を示す場所以上の意味を持つことが、理解いただけたでしょうか。
「冠詞なし+ college/university」も学校と同じ
大学もschoolです。
ですから、「冠詞なし+ school」の形が当てはまり、
go to college
go to university
と言えば、go to schoolと同様、講義を受けたり、レポートを提出したり、研究したりする所です。
私は大学のキャンパスをジョギングするのが好きです。きちんと清掃されていて、花がいつも綺麗に植えてあり、池には鳥がいて、交通の整備もしてあり安全です。大学という、勉強や研究する場所という意味とは全く関係ない、ジョギングする場所として、私は良く近くの大学へ行きます。
その場合は、
I go to the college. I like jogging there because it's clean and safe.
at home と at church
schoolと同様、「冠詞なし+ home」「冠詞なし+ church」も同じです。
一つずつ見てみましょう。
Home 誰にとっても特別な場所
homeは家ですが、建物としての家ではなく、自分が住んでいる家。単なる建物としての家は、houseです。
特にat homeとイディオム的に使うのであれば、落ち着けて、快適で、安らげる特別な場所としての家という意味。
My grandmother passed away at home.
祖母は自宅で亡くなった。
祖母が亡くなった場所は自宅at homeでしたが、これは単に自分の家というより、愛する家族がいて、とても安らげる特別な場所としての自宅という意味です。この文から、祖母が安らかに亡くなったのが感じ取れます。
homeとは誰にとっても特別な場所。単なる建物の中にいるための場所ではありません。
at homeは、家族とか快適とか、そういった特別の意味をhomeに含めず、自分が住んでいる場所、つまり自宅という意味合いだけになるときもあります。
I left my homework at home.
家に宿題置いてきた。
宿題をせっかくやったけど学校に持ってくるのを忘れ、自宅に置いてきた、というようなときも、at
homeでOKです。この場合は、「自分が住んでいる家」という意味合いが強く、家族とか、快適な場所とか、そういう特別な意味はありません。
Church 宗教も特別です
churchの場合はどうでしょう。
churchは教会。英語を母国語とする国では、キリスト教が主な宗教ですから、教会は特別な場所です。
Chris is at church.
クリスは教会にいます。
at churchを使っているので、教会にいるクリスは、教会のメンバーであるとか、キリスト教信者であるとか、ミサに参加しているとか、キリストに祈りを捧げているとか、そういうことをしているんだなと分かります。
Hyugo is at the church.
At the churchの場合なら、ヒューゴウは教会にいますが、単にその場所にいるだけ。例えばヒューゴウと駅で待ち合わせしたのに、30分過ぎても現れない。たまたま通りかかった友達が、「ヒューゴウなら教会にいるよ」。どうやらヒューゴウは教会で待ち合わせと勘違いしたらしい。
この場合、ヒューゴウにとって教会は、単なる待ち合わせ場所であり、キリスト教とかミサとか祈りとか、そんな特別な意味合いは全くありません。
1) Joyce go to church on Sundays. ジョイスは毎週日曜日に教会へ行きます。
2) Cindy will go to the church this afternoon. She doesn't miss the concert. シンディは午後に教会へ行く予定です。コンサートを見逃したくありません。
この二つも、school と同様、1) は教会へ行って、神父の話しを聞いて、祈りを捧げたりすることを意味します。日曜日にミサは開かれるので、毎週日曜日に教会へ行くジョイスは、熱心なキリスト教徒なのでしょうね。
2) は、どうやら教会でコンサートが開かれるようです。シンディがキリスト信者なのかどうかは、文章からは分かりませんが、コンサートを楽しみにしているのは分かります。そして教会は彼女にとって、聖書を読んだり神父の話しを聞いたりする場所ではなく、単に今日午後コンサートが開かれる会場なのです。
所有格もないことに注意
「冠詞なし+ school」の形では、所有格すらないことに注意です。
理由は、単なる場所としての学校ではないから。
しかし一応主語と同じ所有格であることは、ニュアンスから分かります。
Nikki goes to school.
ニッキは学校へ行きます。
冠詞も所有格もないので、学校が単なる場所ではなく、学びやとしての学校であることが分かりますが、ニッキが行く学校は、ニッキが所属している学校でしょう。もしニッキが17歳で、灘高校に所属しているのなら、上記の文章では、ニッキは灘高校へ行くことが分かります。
もし所有格をつけたら、
Nikki goes to his school.
となったら、間違いではありませんが、意味が変わってきます。何となく所有格が強調されているように感じ、「自分の学校へ行く」って、もしかしたら以前は友達が通う学校へ行っていたのかなとか。あるいはニッキのお姉さんはお姉さんが本来所属していない学校へ行くけれど、ニッキはちゃんと自分の所属する学校へ行くんだなとか。
そしてschoolに所有格がつくことによって、単なる場所としての意味が強くなります。
学校を学びやのような、特別な意味のある場所にするためには、schoolには冠詞も所有格も何もつけてはいけません。
まとめ
場所といっても、全ての場所が、この「冠詞なし+ school」の形で表すことができるわけではありません。
主な場所は、今回ご紹介した、
school(学校から派生するcollegeやuniversityなど)
home
church
です。
これら3つは、実は似たもの同士なんです。
日本でも寺子屋があったように、仏教寺院が学ぶ場所、つまり学校だったり、ホームスクールと呼ばれる、学校に通わないで、自宅で親が子供に勉強を教えるシステムがあったり。また自宅で親が熱心に子供に聖書を読み聞かせ、まるで教会のようなことをしたり。
私にとって、スーパーマーケットは特別な場所なんです。本来の意味である食品を棚に並べ売る、そこに人間が生きている証である食欲が重なる。しかも売っている食品は、国や地域ごとに異なって、その国や地域の文化や自然を反映している。
ですから私が、食品店grocery storeに冠詞なしで、go to grocery storeと言ったとき、そこに含まれる意味は、単に「スーパーへ行く」のではなく、それ以上の意味があるのです。
以上、at school とat the schoolの違いは?「冠詞なし+場所」について、解説しました。
【注】
「特定の名詞に冠詞theやaがつくか」は、今回のテーマで説明するために便宜上使った表現で、「冠詞theやaにその名詞がつくか」という考え方が正しいです。英語冠詞の基本的考え方について詳しくは、「日本人の間違った英語冠詞の考え方 実際の使い方を解説」をご覧ください。